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二十世紀梨の発見者 松戸覚之助(松戸市出身)

 松戸市を誕生の地とする二十世紀梨は松戸覚之助(かくのすけ)の発見にはじまり、鳥取県で大きく発展した青梨の代表品種である。今月3日、二十世紀梨誕生の地・松戸で二十世紀梨の里帰りイベントが行われ、100年の時を超えた里帰りに会場は盛大な拍手に包まれた。

松戸市二十世紀が丘に建つ原樹の記念碑

松戸市二十世紀が丘に建つ原樹の記念碑

里帰りイベントで片山知事から梨を贈呈される松戸しげ子さん(右)

里帰りイベントで片山知事から梨を贈呈される松戸しげ子さん(右)

松戸市立博物館に保存されている原樹の幹片(写真下方)

松戸市立博物館に保存されている原樹の幹片(写真下方)
MAP

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百年の時を超えて松戸に里帰り 21世紀もよろしく

 二十世紀梨の里帰りイベントが行われたのは松戸駅西口広場。21世紀を迎えるにあたり、二十世紀梨の誕生の地である松戸市で、今世紀最後の出荷を迎えた二十世紀梨と鳥取県の魅力を紹介するというもの。「松戸を原点とする二十世紀梨は鳥取の農業と経済を支える基幹作物として成長しました。松戸のみなさんにぜひ味わってもらいたい。21世紀もよろしく」と片山義博鳥取県知事。
 里帰りセレモニーでは、松戸市の原樹の直系の子として現存する鳥取二十世紀梨の親木に実った梨が、発見者である松戸家子孫の松戸しげ子さんの家族や地元の大橋小学校の児童たちに手渡され、会場は万雷の拍手が鳴り響いた。
 「こんなに大勢の人が集まってくれるとは思いませんでした。とてもうれしい」と曾孫にあたる倫子さん(21)。親木は寿命をのばすため、収穫量を制限しており、一般の人は口にできない貴重な果実であるという。
 セレモニー終了後は梨クイズや皮むき競争が行われ、会場は大いに盛り上がった。「豊水や幸水などの赤梨主流の中で、青梨の二十世紀梨を再評価してほしい」と鳥取県側はPR。この日、日本一の産地から直送した梨2千個が感謝の意を込めて市民に配られた。
 ちなみに21世紀と改名するかとの問いにはすでに奈良県の農家が苗木・盆栽などに「21世樹」で登録済み。種苗法で類似名称が禁じられているため、二十一世紀梨は現れない。
 来春には鳥取県倉吉市に「鳥取二十世紀梨記念館」もオープン予定で、松戸市が保存する原樹の幹が貸し出される。梨を通じて今後も両県の文化交流が深まりそう。

 二十世紀梨は1888年、当時13歳の市内に住む松戸覚之助少年がゴミ捨て場から梨の若木を拾って育てたのがはじまり。10年後に実をつけ、やがて各地で栽培されるようになった。当時、この梨のうまさで右に出るものがなく、20世紀を背負って立つ果実になれと期待を込められ二十世紀梨と命名された。鳥取市では果樹園経営者が苗木10本を購入し、この親木をもとに丘陵地で栽培が広まり、日本一の栽培量を誇る。
 戦後、二十世紀梨は梨の王様として食卓を飾るが、梨の大敵である黒斑病や袋がけに手間がかかることから、全国的に低迷。こうした中、鳥取県では農家、組合、大学と行政が一体となって栽培事業を発展させ、地元ブランドとして定着させた。その後、世界各国へ輸出されるようになり、アメリカでは「レディ・オブ・フルーツ」、ヨーロッパでは「ニジッセイキナシ」そのままの名で親しまれている。

 本家の松戸市は都市化の波による区画整理事業により離農化が進み、消費者が甘味を求める傾向が強まると幸水、豊水が主流になり、二十世紀梨はその座を奪われることになった。
 市内に残る二十世紀梨の成木は50本ほどだが、ここにきてもう一度松戸に二十世紀梨を根付かせようと市内78の観光農園が、今秋鳥取から里帰りの苗木移植を一斉に行う。移植する品種は病気に強い鳥取産のゴールド二十世紀で、世紀越えの交流に期待が高まる。
 梨は品種ごとに時期が微妙にずれ、8月中旬ごろから幸水、豊水、二十世紀の順に続き、9月下旬以降は新星や新高などが収穫され、松戸の観光梨園ではこの時期もぎ取りに訪れる家族連れでにぎわう。「どれが旨いというよりもその時期の旬のものを味わうのが一番です」と松戸市高塚で観光梨園「隆園」を経営する岡田さん。

 覚之助少年が生家の梨園「錦果園」に植えた原樹は1935年に国の天然記念物に指定されたが、昭和19年の本土空襲によって焼けた。原樹のあったところに記念碑が建てられ、幹片は松戸市立博物館に保存されている。かつての梨園は住宅地に姿を変え、二十世紀が丘梨元町に地名として名をとどめている。