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終戦処理の首相 鈴木貫太郎(関宿町出身)

鈴木貫太郎記念館資料より転載

鈴木貫太郎記念館
資料より転載

 戦後55年を経て新しい世紀が始まろうとしている。この平穏な、現在の日本があるのは、戦争の終決に尽くした郷土出身の総理・鈴木貫太郎の功績が大きい。関宿町の旧邸跡には「鈴木貫太郎記念館」が建ち、その一角に古い井戸と門扉が残っている。街道に面した石碑には「終焉の地」の文字が刻まれ、郷土の巨星の波瀾万丈の生涯を静かに後世へ伝えている。

 

鈴木貫太郎記念館。記念碑文の「為萬世開太平」は終戦勅語から採用された

鈴木貫太郎記念館。記念碑文の「為萬世開太平」は終戦勅語から採用された

旧邸跡に残された古井戸。鈴木はこの地に農事研究所を発足させ、酪農を指導した

旧邸跡に残された古井戸。鈴木はこの地に農事研究所を発足させ、酪農を指導した

実相寺境内の鈴木の墓。寺には関宿城本丸の一部が移築されているので一見したい

実相寺境内の鈴木の墓。寺には関宿城本丸の一部が移築されているので一見したい
MAP

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戦争終決の陛下の希望を実現 晩年は関宿で好々爺

 昭和20(1945)年7月26日のポツダム宣言以降は慌ただしく刺々しい日々が続いた。広島・長崎原爆投下、ソ連参戦…。
 ポツダム宣言の受諾可否をめぐる御前会議は、8月9日午後2時に始まったが、12時間経過しても結論が出なかった。通常の御前会議は、事前に発言者も発言内容も結論も決まった上で開かれたが、この日はまったく異例であった。鈴木貫太郎総理を除く6人の構成員は3対3で対立したまま。そこで鈴木が天皇のご聖慮を仰ぎ、ようやく受諾が決定した。時に10日午前2時20分であった。
 最後の御前会議は、8月12~14日に数十時間開かれ、14日午前10時過ぎに、「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、以て万世の為に太平を開かんと欲す。…」と終戦宣言のご詔勅内容が決まった。

 鈴木は慶応3(1867)年12月、関宿藩主久世家の和泉国(現堺市伏尾)の陣家で生まれた。
 明治4年関宿に戻り、関宿久世小学校~群馬中学校などを経て海軍兵学校14期生となった。日清・日露戦争に従軍した後、海軍大将・海軍軍令部長を経て昭和4年62歳で40年間の海軍生活に終止符を打った。その直後、侍従長を拝命して8年間奉仕した。
 鈴木は、この侍従長最後の年に2・26事件に遭遇した。昭和11年のこの乱では、岡田首相秘書が誤認射殺され、高橋是清蔵相、斉藤実内大臣、渡辺錠太郎教育総監が殺害され、鈴木は重傷を負った。鈴木襲撃は安藤大尉以下20数名。4発のピストル弾のうち2発目が股、3発目が胸左乳内側の心臓部、4発目が頭と肩を射た。戦後亡くなった時、遺灰の中にこの時の弾丸が混ざっていたという。
 鈴木が生き延びたのは夫人の機転であった。止めを刺されそうになった時、「すでにこと切れております。武士の情けで」と訴え、即座に安藤大尉が制止した。
 重傷を負った鈴木は5月中旬頃に回復したが、11月に奉仕を終えた。その後は枢密院顧問官、昭和15年に73歳で枢密院副議長、同19年8月には議長に就任した。
 この間、昭和16年(1941)12月8日に東条内閣が太平洋戦争を開始。そして、敗戦が色濃くなった19年7月東条内閣が総辞職し小磯内閣が発足した。しかし、これも翌20年4月に総辞職。昭和天皇直々の説得にも固辞してきた鈴木だが、再度のお言葉で大任を受けることにし、20年4月7日79歳の時に鈴木内閣が成立した。鈴木の使命はいかにして終戦に導くかであり、内閣書記長官迫水久常、陸軍大臣阿南惟幾などの協力を得て天皇裁断でポツダム宣言受諾を選び、終戦の幕引きを行った。

 昭和20年8月15日に辞表提出。東久迩宮内閣にバトンタッチした後、鈴木は家を焼かれて住む所もなかったので都内数ヶ所に仮寓した。この仮寓は、実は終戦の日から数日間、徹底抗戦を唱えて鈴木や迫水など終戦指導者を殺せという不穏な空気に、警視庁が身辺警護を行い数日間、同じ場所に止まらないよう要望していたからだ。鈴木は笑いながら素直に要請に従い、連合軍の進駐で平穏が保てるようになって故郷の関宿に戻り悠々自適の生活に入った。
 しかし、それも束の間、12月2日には梨本宮、広田弘毅、畑俊六、近衛文麿、木戸幸一らが戦犯容疑で逮捕されたため、12月15日再度枢密院議長に就任した。それから半年、変遷のあと憲法草案も条文化されて21年6月本会議で可決。ようやく6月13日付けで議長を依願免官となった。
 このあと、まったく一野人となり、今度こそは静かな老後を…と関宿に戻った。昭和天皇のご信任がことのほか厚かったのは、夫人が昭和天皇、秩父宮の姥であったこともあろうが、記念館に残された、おだやかなほほえみの表情の木像を見るかぎりその好々爺ぶりには万人が敬服する。しかし、公職追放令に基づいて8月5日すべての公職を退き、昭和23年4月82歳で永眠した。

  • ●関宿町鈴木貫太郎記念館
    千葉県東葛飾郡関宿町関宿1273 電話0471(96)0102
    入館料=大人100円/小中学生50円/6歳以下無料
    開館日=毎週火曜日から日曜日まで/国民の祝日は開館
    入館時間=午前9:00~午後4時30分
    休館日=毎週月曜日と年末年始(12月28日~1月4日)
        国民の祝日の翌日(5月4日は休館日に含まない)