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柴の里・野田

 全国生産量の約五分の一を醸造する醤油の町・野田市は、名実ともに日本一の「むらさきの里」である。市内はキッコーマンの企業城下町ともいわれ、醤油醸造所が点在し、古色を帯びた街並みを包むように醤油の香気が漂う。

醤油の香りの漂う町

江戸川土手づたいに建つ御用蔵。

江戸川土手づたいに建つ御用蔵。雨にぬれた朱塗りの橋を渡ると「御用醤油醸造所蔵」の立て看板が目に入る。格調高い建物と自然との調和が見事で、日本の正月のイメージにぴったりの風景である

上花輪歴史館

敷地3000坪を有する上花輪歴史館

野田市郷土博物館

野田市郷土博物館

もろみ状態の醤油

もろみ状態の醤油

 野田の醤油造りは永禄元年(1558年)に飯田市郎兵衛が溜り醤油を生産したのが始まりである。その後寛文元年(1661年)上花輪の名主・高梨兵左衛門が本格的に醤油造りをはじめ、江戸中期には茂木家と合同で醸造業を営んでいく。
 天明元年(1781年)になると近隣の七醸造家で野田醤油仲間を結成し、翌年には亀甲万印の醤油醸造を始める。醤油造りが軌道に乗ると江戸庶民にも受け入れられ、醸造高は急増。それまで隆盛をきわめていた上方醤油にとって変わっていく。
 野田醤油が飛躍したのは原料の供給地に近接していたため。大豆は霞ケ浦沿岸、小麦は相州産、塩は行徳塩を用いていた。さらに大消費地の江戸へは、江戸川の舟運を利用して短時間で醤油を送ることができた。

自然との調和を優先

 こうした地の利を生かし、醤油産地として飛躍した野田は江戸末期には醸造高で銚子を上回る。戦前戦後の昭和14年~40年代までは宮内庁御用達の醤油を醸造。醸造所は江戸川の土手づたいに建つ白亜三層の城郭型・通称御用蔵である。現在は仕込みのみが行われ、蔵の中ではもろみ状態の醤油が自然発酵のまま一年間、夏場7、8月を除く月別の10樽に寝かされている。
 御用蔵は一般見学できないが、土手から蔵を一望できる。醤油醸造を見学できるのがキッコーマン野田プラントの「もの知りしょうゆ館」。ここでは映像で醤油づくりを理解した後、実際の工場見学ができ、土産コーナーでキッコーマン製品や宮内庁御用達の特製醤油を購入できる。

 市内を歩くと土蔵や城郭型の醸造所が点在し、歴史の重みを感じさせる。中でも板塀に囲まれた旧茂木家周辺は野田を代表する情景のひとつ。赤土塀の野田市郷土博物館も武家屋敷風の建物で、醤油醸造関係の資料や企画展を開いている。
 上花輪歴史館は野田醤油を始めた上花輪の名主旧高梨家の屋敷や庭園を一般に開放したもの。屋敷内は明和3年(1766年)建造の長屋門や書院などが現存。母屋前方に門、馬廻し、後方に神楽殿、茶室があり、庭園と屋敷林に囲まれている。枯山水と築山の築造による書院の庭は、県下では貴重なものだが、残念ながら来年2月末日まで冬期休館中。
 野田市はこれまで、醤油産業の発展で近隣とは趣きの異なる町を現存させてきた。しかし、郊外には大型ショッピングセンターが進出するなど自然との調和をはかりながら「むらさきの里」は少しづつ変革しつつある。

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