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日光東往還①

古街道に今も残る関宿城の建造物 県北端の宿場から街道を歩く

関宿城博物館展望室からの眺望

関宿城博物館展望室からの眺望/利根川の向こうに筑波山が見える。360度のパノラマが広がり、富士山や日光の山々、東京スカイツリーも望める

 2011年は房総の古街道を路線バスで訪れました。今回から6回シリーズで、千葉県最北端の関宿から南東の東金まで、古街道でつなぎながら歩いてみます。1回目は野田市関宿から梅郷まで「日光東往還」をたどる、およそ23kmの旅です。

 

古街道沿いの松並木の名残

古街道沿いの松並木の名残/諏訪神社を過ぎた関宿幼稚園バス停近くに松の古木が2本残る

野田市役所前の野馬土手跡

馬のオブジェが乗った支柱

野田市役所前の野馬土手跡/案内板によると野馬土手は道路の両側にあったという。土手の幅は裾から堀の縁まで6.5メートル、高さは堀の底から土手の頂上までで2.75メートルだったそうだ。道路側には馬のオブジェが乗った支柱が並ぶ

梅郷駅近くの常夜灯

梅郷駅近くの常夜灯/民家の前に建つ昭和初期に再建された木製の常夜灯。少し先のバス停が「山崎宿」。ここに宿場の名が残る

関宿城博物館

関宿城博物館/利根川と江戸川が分流する関宿三軒家のスーパー堤防上にある。かつての関宿城の天守閣を再現した外観

実相寺

実相寺/境内に、関宿城本丸の一部建物を移築した客殿がある。県内で本丸の建物が現存するのはここだけという

関宿城埋門

関宿城埋門/古街道沿いの小林家に移築された関宿城の埋門。門だけが時代に取り残されているようだ

川と共に生きた町を映す博物館

 五街道の一つである日光街道の東を通る脇街道として整備された「日光東往還」。県内には北から関宿、中里、山崎の宿が置かれ、現在の南柏で水戸街道に合流する。今回の旅は東武野田線・川間駅から朝日交通バスで千葉県立関宿城博物館に移動、県最北端の関宿から始めよう。
 利根川と江戸川が分流するスーパー堤防上に建つ、天守閣を模した外観の関宿城博物館。「河川とそれにかかわる産業」をテーマに、利根川流域に生きる人々の歴史や生活を紹介している同館だが、関宿城本丸はこの地ではなく、500メートルほど南の場所にあった。そこには関宿城址の碑と、わずかに曲輪が残る。さらに堤防沿いを進むと関宿関所跡碑があるが、かつての関所は河川改修のため消滅。当時の場所に近い現在地に碑が建てられたという。
 関所跡碑から東に歩いた左側に、野田市鈴木貫太郎記念館(入館無料)が建つ。終戦時の内閣総理大臣として活躍した翁を紹介する記念館だ。古街道は、目の前を走る県道17号・流山街道とほぼ同じルートをたどる。いよいよ古街道に入ろう。
 少し歩くと左側に歴史を感じる寺が現れる。実相寺だ。境内に宝暦6年(1709年)に建造された関宿城本丸の一部建物を、明治4年(1871年)に移築した客殿がある。ちなみに、鈴木貫太郎夫妻もここに眠っている。

往時の姿を現代に伝える遺構

 古街道は、富士浅間神社の先で左の旧道に。すぐ県道に戻り、さらに菅原神社手前で左の小道に入る。路分け六地蔵を左に見ながら歩くと、関宿城の埋門(うずめもん)を移築した小林家がある。案内板によると、明治8年(1875年)、城の破却と同時にここに移され、今も15メートルほどが残り移築当時の姿をとどめるという。現在、千葉県内に城の構造物が残されているのは関宿城のものが2つだけで、そのうちの1つがこの埋門なのだそう。
 県道に合流し、さらに歩くと道を覆うように枝を広げる2本の松に出合う。かつて街道にあった松並木の名残だ。
 この先江戸川の河川敷やゴルフ場で古街道は一部消滅するが、そのまま県道17号を進む。関宿幼稚園バス停から、朝日交通バスで天王前バス停まで移動するのもいい。このあたりが中里宿だ。
 県道をしばらく進み、国道16号を横切るとゴルフ場の中に古街道は消える。脇を抜け、再び国道16号を横断、左折して古街道に合流。そのまま進めば、野田市役所だ。
 ここには、野馬に田畑を荒らされないよう築かれた野馬土手が残る。案内板によれば、江戸時代中期まで続いた野馬の放牧場であった庄内牧の面影を偲ばせ、市内に現存するものとしては保存状態も良く、長く連続している様子が見られるという。
 野田市駅へ向かう中根の交差点を通過、さらに歩けば東武野田線の踏切が現れる。渡れば今回の旅のゴールはもうすぐだ。
 梅郷駅入口交差点の五差路で流山街道に合流、そのまま進むと木製の常夜灯が民家の前にポツンと建つ。昭和初期に再建されたものらしいが、歴史を感じさせる。

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