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成田街道と御成街道

成田山参拝の道から家康ゆかりの古街道へ 街道に今も賑わう船橋宿

海老川橋

海老川橋/欄干の中央に舟のオブジェが。「英雄がこの地の海老川を渡ることができなかったとき、地元民が小舟を並べて橋の代わりとし、無事向こう岸に届けた」という船橋の地名由来が書かれている

 6回シリーズで千葉県最北端の関宿から南東の東金まで、歴史ある神社仏閣や町並みを見ながら、ゆっくり古街道を歩きます。4回目となる今回は、本八幡から実籾まで「成田街道」と「御成街道」でたどる、およそ14kmの旅です

 

旧大沢家住宅

旧大沢家住宅/昭和51年(1976年)に長生郡長生村から移築復元された古民家。藤崎森林公園内にあり、建物内部も公開されている。千葉県指定有形文化財

船橋大神宮の灯明台

船橋大神宮の灯明台/明治13年(1880年)に地元漁民が設置した。1・2階は和風、3階の灯室は西洋風に造られた和洋折衷の建物。千葉県指定有形民族文化財

藤崎古道

藤崎古道/御成街道が造成される前に使われていたという。街道に沿うように50メートルほどが残る

葛飾八幡宮

葛飾八幡宮/社殿の右に国の天然記念物「千本公孫樹(千本イチョウ)」が枝を広げる

法華経寺参道

法華経寺参道/参道正面に見える五重塔は元和8年(1622年)建立。国の重要文化財

船橋の古い商家

船橋の古い商家/ビルに挟まれるようにポツンと残る

門前町風情漂う法華経寺の参道

 前回(2012年3月23日号)六実までたどった鮮魚街道は、海上自衛隊下総航空基地に分断されるが、基地を過ぎて復活、利根川べりの布佐まで続く。途中の白井市十余一あたりから木下街道で本八幡に行くのだが、このルートは昨年連載した「路線バスでたどる房総の古街道」で紹介している。そこで今回は、木下街道が成田街道に合流する本八幡駅から旅を始めよう。
 古街道は国道14号のルートで船橋に向かう。少し歩くと左手に大きな鳥居が見えてくる。源頼朝や徳川家康ら、多くの武士が武運を祈った葛飾八幡宮だ。道路を挟んだ斜め向かいは「八幡不知森(やわたしらずのもり)」。足を踏み入れたら二度と出てこられないという伝承のある森だ。
 真間川を渡り、中村家の蔵が右にある鬼越2丁目交差点が木下街道との追分。ちなみに、終戦直後から7年ほど東山魁夷画伯が暮らした工場事務所がここだ。
 下総中山駅入口交差点を左に折れると、そこは法華経寺の参道。商店が軒を連ねる門前町らしい雰囲気が漂う。広大な境内には比翼入母屋造りの祖師堂をはじめ、五重塔や法華堂など国の重要文化財が建ち並ぶ。
 西船橋駅の雑踏を抜け、本町通り方面に国道と分かれ左の道へ。地下道で総武線をくぐり、右斜め後ろに現れる小道を入った観音堂前に市内最古の道標がある。この道は行徳から船橋宿に入る古街道なのだ。

江戸の暮らしを伝える古民家

 右手に西向地蔵尊が現れる頃、周囲は船橋の繁華街に。賑わいを見せる本町通り商店街のビルの間に、ポツンと古い商家が佇む。しかも道の両側に1軒ずつ……。ここだけ時間が止まっているようだ。
 左側の森田呉服店裏の路地を進むと、そこに日本一小さいという船橋東照宮が建つ。かつてこのあたり一帯に徳川家康が宿泊した船橋御殿があり、東照宮の場所がその中心であったと伝わる。
 海老川橋を渡ると、目の前に船橋大神宮の鎮座する高台が見えてくる。境内には、明治13年(1880年)に設置された木造3階建ての灯明台がある。明治28年(1895年)に停止するまで、政府公認の私設灯台として機能していたと案内板に。
 大神宮の北側を回り込むように宮坂を上り、しばらく歩くと高さ2メートルほどの大きな輪王道標が現れる。成田街道と御成街道の追分だ。ここから御成街道が始まる。
 新京成の踏切を渡り、藤崎交番前交差点を右折するとほどなく藤崎古道の標柱が。この古道は、御成街道が整備される前の道という。長さは50メートルにも満たないが、風情を感じさせる。
 少し歩いた右側に、緑豊かな藤崎森林公園がある。ここに寛文4年(1664年)建築の旧大沢家住宅が移築復原され、公開されている。江戸時代中期までの典型的な房総民家の形式を今に伝えるという。午前中はカマドに火がたかれ、土間には民具も展示されている。少し先の実籾本郷公園にも旧鴇田家住宅が移築復原されているが、東日本大震災で被災し、現在は庭の一部だけが公開されている。
 大原大宮神社を過ぎ、右手に重厚な長屋門が見えたら実籾駅はもうすぐ。今回の旅のゴールだ。

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