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御成街道(5月)

ほぼ直線に伸びる古街道 家康ゆかりの街道を歩く

元観音堂の石絵馬

元観音堂の石絵馬/徳川三代将軍・家光の愛馬が鷹狩りの際にこの地で傷つき死に、その屍を葬った場所と伝わる。境内にはたくさんの石絵馬があり、年号が刻まれた古いものは明治26年奉納。最も古い石絵馬は文久年間という

 千葉県最北端の関宿から南東の東金まで、ゆっくり古街道をつなぎながら歩く6回シリーズの旅。5回目となる今回は、徳川家康ゆかりの「御成街道」。習志野市・実籾から千葉市・千城台までのおよそ15kmをたどります。

 

御瀧神社

御瀧神社/家康が鷹狩りに向かった際、ここにあった滝で喉を潤したという。この伝承から御瀧権現と呼ばれる

駒形観音堂

駒形大仏

駒形観音堂と駒形大仏/大仏開眼入仏の元禄16年(1703年)に開基。大仏は高さ約2.4メートルの如来型坐像(千葉市文化財)で、かつては露座であった。酸性雨による腐食のため平成9年に屋形を新築

提灯塚

提灯塚/御成公園の一角にある。街道造成の際、この塚に昼は白旗、夜は提灯をともし工事したという

椎の古木

椎の古木/道を覆うように大きく枝葉を広げる古木。時代の移ろいを見つめてきたのだろう

花島総合公園

花島総合公園/スポーツ施設もある緑豊かな公園。園内に渓流園もあり爽やかに散策できる。奥には花島観音(天福寺)が鎮座

福寿院

福寿院/明応年間創建。境内には家康ゆかりの枝垂れ桜があるという

時代の流れを静かに見守る古木

 これまでの4回で、県最北端の野田市関宿から日光東往還、水戸街道、鮮魚街道、成田街道をたどり、そして御成街道を実籾まで歩いた。今回は、京成・実籾駅から旅を続けることにしよう。
 駅を出て南へ、県道69号のルートが古街道だ。すぐの長作交差点を左折した左側に宝暦3年(1753年)と刻まれた庚申塔がある。右側面には「北さくらみち」と彫られ、左右の二十三夜塔、二十六夜塔とともに、かつては長作交差点にあったという。
 古街道に戻りしばらく歩くと、右側に椎の古木が道路の上まで枝葉を広げている。樹齢はわからないが、かなりの年代物である。根元の近くには天明7年(1787年)の六十六部供養塔が建つ。これは巡礼(六部)行脚の供養碑と案内板にある。
 少し歩くと左側に大きな道標が見えてくる。花島観音への道標を左に曲がると1キロほどで花島総合公園だ。緑豊かな公園にはせせらぎが流れ、爽やかな季節の散策に最適。公園の奥には花島観音(天福寺)が鎮座する。逆に、道標を右折すれば福寿院だ。
 古街道に戻り、花見川にかかる天戸大橋を渡る。ちなみに花見川は、印旛沼と東京湾を結ぶ水路である。江戸時代に始まった水路を開く堀割普請(工事)だが、資金難や軟弱な地盤での難工事であったため失敗を繰り返し、完成したのは昭和44年(1969年)のこと。

鷹狩りの逸話を今に伝える寺社

 花見川を渡り、長い坂を上った台地が当時の犢橋宿。今では、かつて宿場であった名残はない。
 長い坂を下り、再び上れば東関東自動車道を越える。御成街道は、ほぼ直線で伸びるがアップダウンが激しい。
 少し歩くと、立体交差する国道16号が見えてくる。手前右手の小道を入ると、新しい住宅街にポツンと御瀧神社が現れる。鷹狩りに向かう家康が休憩した際、ここにあった湧き水の滝で喉を潤したとの伝承がある。小さな社には家康が祀られているという。
 さらに進むと、県立千葉北高校に食い込むように元観音堂が建つ。徳川三代将軍・家光が鷹狩りの時、この地で愛馬が傷つき死に、葬った場所と伝わる。この伝承が正しいなら、元和6年(1620年)の出来事になるそうだ。境内には、浮彫や筋彫された多数の石絵馬が奉納されている。
 古街道に戻り国道16号をくぐると、駒形観音堂が左にある。境内には見事なイチョウの巨樹が葉を広げ、駒形大仏が鎮座している。案内板には江戸時代の大規模鋳銅像として有数の像とある。
 この先、長沼原町交差点で古街道は大きな2つの工場と陸上自衛隊下志津駐屯地に消える。再び現れるのは駐屯地の向こう側、鎌池交差点だ。
 しばらく歩き、左に春日神社が見えたらゴールはもうすぐ。御成台1丁目交差点を右折すれば千城台駅だが、この先200メートルほどにある提灯塚(一里塚)を訪れよう。
 グッと狭くなった古街道を上下しながら進むと、右手にこんもりした提灯塚が見えてくる。かつての御成街道造成時は、昼夜工事のために夜間は提灯をともしたという。これが塚の名称の由来。船橋から東金へ至る御成街道の、ほぼ中間点にあたるそうだ。

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