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北部台地の地名 市川編(上)

 市川市の北部台地はかつて下総国の国府が置かれ、行政・文化の中心地であった。この一帯には古代から中世、近世にわたって貝塚跡、古墳跡、住居跡、寺社跡、古戦場跡など歴史的重要な遺跡が数多く残っている。また平地の中心部は江戸川の流砂による砂州や三角州で形成されるなど、市内の地名や町名は土地の歴史事情や地形に関連したものが多い。今回はこうした市川市の北部地域を紹介して行きます。

歴史や地形に関連した地名町名

国府台地名の発祥・国府神社

国府台地名の発祥・国府神社

真間の崖。弘法寺境内から市川市内の台地と低地が一望できる。かつては崖下まで入江が入り込んでいた。

真間の崖。弘法寺境内から市川市内の台地と低地が一望できる。かつては崖下まで入江が入り込んでいた。

八幡地名の発祥・葛飾八幡宮の境内。町内には江戸時代の古八幡村の地名を継ぐ古八幡自治会がある。

八幡地名の発祥・葛飾八幡宮の境内。町内には江戸時代の古八幡村の地名を継ぐ古八幡自治会がある。

中山地名の発祥・中山法華経寺の境内。船橋市域の中山はこちらが本物とばかりに本中山と呼んだ。

中山地名の発祥・中山法華経寺の境内。船橋市域の中山はこちらが本物とばかりに本中山と呼んだ。

歴史の代表地名に国府台
鬼越と高石神と鬼高

 「国府台(こうのだい)」は古代史に基づく代表的地名である。これは下総国の国府が台地上にあったことを意味するが、日本武尊の軍勢が江戸川を渡る時、浅瀬を教えてくれたコウノトリに褒美として与えた台地との伝説もある。国府神社の祭神は武尊で御神体はコウノトリの嘴(くちばし)という。
 「国分(こくぶん)」は各地にある国分や国分寺にまた「八幡(やわた)」は京都石清水八幡宮から勧請した葛飾八幡宮にちなむ。同様に「中山(なかやま)」も正中山(しょうちゅうざん)法華経寺の山号からとり、「若宮(わかみや)」は若宮八幡宮を祭ったことに由来する。東征途中の武尊が吾我己家(わかみや)、倭神御家(わかみや)と呼んだのが起こりともいう。
 「鬼越(おにごえ)」は鬼が出没するので鬼子居(おにごい)と呼ばれ、「高石神(たかいしがみ)」は石器時代の遺物・石棒を祭っている高石神社に由来する。「鬼高(おにだか)」はこの鬼越に高石神の飛び地が多く混在していた地区で、大正8年の区画整理後両方の頭文字を地名にした。
 「下貝塚(しもかいづか)」は貝塚跡に由来した地名だが、明治12年当時東葛飾郡内には2ヵ所貝塚村があったので上貝塚(流山市)と下貝塚に区別した。「奉免町(ほうめまち)」は後深草天皇の姫が難病に罹って都からこの地にたどり着いた際、里人の願いで鎌倉幕府は租税を免じ奉って姫の御料にあてさせたことによる。法免とも書いた。

一の川が転じて市川に
南が頭についた南八幡

 「市川(いちかわ)」の地名は、江戸川が坂東一の大きな川であったことから「一の川(いちのかわ)」と呼ばれた、また川の下流沿岸で荷を積んだ川舟が集まって市が開かれ「市川」と呼ばれた、などに由来する。一の川に続く川を二川(ふたがわ)、三河(みかわ)といった。
 南北朝時代は「市河村」が記録されているが、室町・戦国時代には渡船場がある宿駅になっていた。その後江戸時代は市川村と呼ばれ、幕府と旗本大久保家の領地で石高915石余あったという。
 現在の「市川南(みなみ)」「南(みなみ)八幡」はJR総武線の南側をいうが、これはそれぞれ旧市川町、旧八幡町の南半分を意味した。しかし八幡の場合、南の字を頭につけたのは、市川南の場合に南の字を書き落とす人が余りにも多かったからである。

真間や菅野、宮久保など
地形がそのまま地名に

 「真間(まま)」のママは崖の意味で、弘法寺(ぐほうじ)前の急な斜面が続く地形をいった。この崖下を「須和田(すわだ)」というが、江戸時代は湿地帯で湿田のある所をスワと呼び、諏訪田とも書いた。また「菅野(すがの)」一帯は昔北半分が広い湿原で菅が密生し、南半分は砂質でスカ、スガと呼ばれていたことから、この野原を菅野と呼んだ。
 江戸時代にはこうした湿原が開墾されて市川新田となった。現在の「新田(しんでん)」はこの地名を引き継いだもので、「平田(ひらた)」はあたり一帯が平らで広い地形であったことから呼ばれた地名である。
 「宮久保(みやくぼ)」は当初宮窪と表示し、宮のある窪地の村を意味した。現在も4丁目台地に囲まれた窪地に住民が信仰する八幡宮がある。「北方町(ぼっけまち)」のボッケも崖の意味だが、この地に住んだ閑院家(かんいんけ)の呼び名が北家(ほっけ)だった、中山領主の北の方が住んでいたので北方(ほっけ)と呼ばれたという。難読地名の一つであったが、住居表示実施後は一部をキタカタと呼び変えた。
 「柏井町(かしわいまち)」のカシワは傾(かし)ぐの意味で、傾斜地の井戸のある所を示した。

《参考資料》市川市教育委員会「市川市の町名」広報いちかわ「市川のまち/地名の由来」創拓社「日本地名ルーツ辞典」リブロポート「行徳・浦安わがまち発見(1)」他

エリア情報

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