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海面埋立地と町名 浦安編

 浦安市は「沖の百万坪」を埋立てて、市域を20倍に拡大させた特異なまちである。現在の19町名のうち古くから存在するのは堀江、猫実、当代島の3地区で、残りはすべて公有水面の埋立てで誕生した。しかもその新しい町名はもともとそれらの海域で伝承されてきた名称が多く、この点でも浦安市は他市と異なる歴史を感じさせる。今回はこうした浦安市をご紹介します。

伝承された漁場名が町名に

猫実地名が生まれた豊受神社付近

猫実地名が生まれた豊受神社付近

高洲橋から見た日の出、明海地区

高洲橋から見た日の出、明海地区。沖の百万坪は埋立てて整理され、新しいまちに生まれ変わった。

かつて境川東水門から先は海で、北東方面には三番土堤、南西方面には浜土堤がそれぞれ延び、土堤の外側には海楽園や富岡の池があったという。

かつて境川東水門から先は海で、北東方面には三番土堤、南西方面には浜土堤がそれぞれ延び、土堤の外側には海楽園や富岡の池があったという。

明治の町村合併で浦安誕生
津波が根越さね・猫実

 浦安は江戸川河口の三角州上にあり、魚貝が豊富にとれる安らかな浦であった。明治22年に堀江、猫実、当代島が合併して新しい村が誕生した時、初代村長はその漁業の安泰を願って「浦安(うらやす)」と命名した。また日本が昔「浦安の国」と呼ばれていたのでこれを採用したともいう。
 鎌倉時代の「堀江(ほりえ)」にはすでに小さな港があったので堀江と呼ばれ、「当代島(とうだいじま)」には当代(その時代)に開墾された島状の土地という意味がある。この三角州の中には妙見島など島状の中洲がたくさんあった。
 一方「猫実(ねこざね)」は、鎌倉時代に再三津波に襲われたため豊受(とようけ)神社付近に堤防を築いて松を植えたところ、その後津波は松の根を越すことがなくなり、「根越(ねこ)さね」と呼ばれるようになって、猫真、猫実に転じた。
 「北栄(きたざかえ)」は北部土地改良区の北側で北境と呼ばれたが、浦安駅があり将来の発展が見込まれて北栄に転じた。「富士見(ふじみ)」は境川の富士見橋からそう呼ばれるようになった。

養漁池「富岡の池」が富岡
いまっか・えまっかが今川

 「青ベカ物語」の沖の百万坪はその後、公有水面埋立で区画整理され新しい町名に生まれ変わった。
 昭和43年に誕生した新しい町は東野、富岡、今川、弁天、鉄鋼通りなど。「東野(ひがしの)」は堀江字東野が大部分を占めていた地域で、「富岡(とみおか)」は富岡家経営の養漁池が富岡の池と呼ばれていたことに起因する。「今川(いまがわ)」は境川河口の水路・江間川澪(えまがわみお)を「いまっか、えまっか」と呼んでいたことが転じ、「弁天(べんてん)」は辺りの海域が弁天湾処と呼ばれていたことによる。「鉄鋼通(てっこうどお)り」は都内の鉄鋼機材販売業者によって造成された通称鉄鋼団地がここにあることからそう呼ばれるようになった。

潮干狩の海楽園跡が海楽
昔の漁場名が千鳥、高洲

 昭和46年には海楽、美浜、入船がまた50年代には舞浜、日の出、明海、港、千鳥、高洲などが次々に誕生して現在の市域が形成された。
 「海楽(かいらく)」は戦前の潮干狩の行楽地海楽園にちなみ、「美浜(みはま)」は遠く房総の山々を望める美しい砂浜が連なった所を意味し、「入船(いりふね)」は漁場から帰る漁船の水路の入口にあたることからついた町名である。
 「舞浜(まいはま)」は米国のディズニーワールドに近いマイアミビーチにちなんだことは有名だ。「日(ひ)の出(で)」は浦安市の最東でこの位置から日が昇るところで、「明海(あけみ)」はさんさんと太陽が輝く明るい海にちなんだ。同地区にある大学は明海(めいかい)大学と呼ぶ。
 「港(みなと)」は将来、鉄鋼流通基地の中心港としての利用が考えられた地区で、「千鳥(ちどり)」はかつて鳥棒と呼ばれた漁場にちなみ、「高洲(たかす)」も千鳥同様に埋立て前の漁場名を残した。

《参考資料》
浦安市郷土資料館「浦安のできごと」浦安市教育委員会「ふるさと浦安・教育のあゆみ」
中山書房仏書林「観音札のあるまち行徳・浦安」他黒

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